Piacere.





私が生まれて以来最も長い待ち時間の果てに、扉が開き、老婆が部屋から出てきた。
立ち上がった私の心を見透かしたかのように老婆は微笑み、

「おめでとう。元気な双子の男の子だよ」

そういって、部屋を後にした。
私は立ち去る産婆の背に礼の言葉をかけると、入れ替わりに部屋へと続く扉をノックした。
どうぞ、と返答があったので静かに扉を開ける。
いくらかの家具や調度品が置かれただけの簡素な部屋。窓からは朝日が差し込み、部屋全体を白く照らしていた。

「スパーダ」

寝台に横たわった妻――エヴァは私の姿を認めると、その上半身を起こしにかかった。
私はそれを制しようとしたが、彼女はゆっくりと首を振ってその身を起こし、寝台の背にもたれた。
産後の疲れもあってか、もともと白い肌はいつにも増して抜けるように白い。つややかな金の髪はしかし健在で、朝の光を受けて小さな太陽のように輝いている。

「まだ寝ていたほうがいい」
「平気よ。ぴんぴんしてるわ」

ため息交じりの私の忠告など意に介する風もなく、エヴァは少女のような笑みを浮かべた。とてもたった今二児を出産した母親とは思えない。

「全く、無理をする」

顔色が優れないことくらい私にもわかる。

「失礼ね、これでも体力には自信があるんだから。…それより、ほら。あなたに少しでも早く見せたかったの」

そういってエヴァは視線を落とし、傍らのブランケットをそっと、優しく撫でる。
そこには、二つの小さな顔が覗いていた。

「見て。あなたの…私達の、赤ちゃんよ」

エヴァがそう呼んだ二つの命は、安らかな寝息を立てて眠っていた。
赤子。生まれたばかりの人間のことをそう呼ぶのだと文献で読んだこともあるし、実際に街中で見かけたこともあった。
無防備な寝顔。少し力を入れれば壊れてしまいそうな、か弱い存在。

「私の…子供?」

信じられなかった。
目の前のこの脆弱な存在が、自分の子供であるなどと。

「私は…このような姿ではなかった」

正確に言えば、私は生まれた時の記憶はない。いつの間にか存在していて、いつの間にかこの姿であった。
魔界においては、生を受けたその瞬間から命の奪い合いが始まる。強いものが喰らい、弱いものはその糧となる。頼るものなどない。
それが魔界の掟であり、秩序であった。
私も、私が始まったと同時に、多くの「同胞」に取り囲まれたことを覚えている。私を糧としようと襲いかかる彼らを、私は掟に従って全て葬ってきた。
それはあの世界で生きていくうえで呼吸をするのと同じくらい自然なことで、力なきものは滅ぶしかない。当然の断りだと信じていた。
だが、目の前にいるこの子らはどうだ。

「これでは、己の身も守れないではないか」

図らずも声を荒げてしまい、エヴァが驚いたような顔をしたので、私は少し後悔した。
しばしの沈黙。

「…だから、」

先に静寂を破ったのはエヴァだった。
静かだが、凛とした声。

「だから、守るの。私と…あなたが。」
「守る…?」
「そう。それが、親になるってことなんだと思う。私達、お父さんとお母さんになったのよ」

エヴァは愛おしそうな眼差しで眠る双子を見つめる。

「エヴァ、一つ問いたい。…守るとは?一体私はどうすればいいのだ?」

この子らに、何をしてやればいい?
今まで数え切れないほどの命をこの手にかけてきた、私が?

しかし、答えはあまりにあっさりと帰ってきた。

「簡単よ。愛してあげればいいの。たくさん、たくさんね」
「…?話に関連性が見えてこないが」

私は首を傾げた。

「うーん、あなたが納得する説明じゃないかもしれないけど、大好きな宝物と同じだって、私は思ってる。もし宝物が壊れそうな危険が迫ったら、どうする?」
「…破壊を免れるためにあらゆる手を尽くすだろうな」
「でしょう?それと一緒よ。愛していれば、それを失いたくないって自然と心が願うの。心がそう願うから、体が失わないように動いていく。…それが、守るって事なんじゃないかしら」

そういってエヴァは微笑んだ。

「…そうかもしれないな」

抽象的な感情論で根拠も弱く、論理としては薄弱なのにもかかわらず、彼女の意見は不思議と私を納得させるものがあった。
理屈や論理を超越する強さ。エヴァの言葉はそういった類の力を持っているように感じた。

「エヴァ、もう一つ聞いていいだろうか」
「何ですか、スパーダ君。…あ、この期に及んで『愛するとはどうすればいいのだ?』なんていう質問は受け付けませんからね!」
「…分かっているよ」

私の口調を真似て彼女がおどけるので、つられて私の顔にも笑みが浮かんだ。

そっと、赤子の髪に触れてみる。
さらさらと指から零れ落ちる和毛[にこげ]の色は銀。
それは、人の子ではないことの何よりの証。

「力の大半を封印したとはいえ、私の体を流れる血は間違いなく悪魔のものだ」
「…うん」
「だからきっと、私の血はこの子らに少なからず何らかの影響を与えてしまうだろう。…半魔の子としての、力を」
「…そうかもしれないわね」

眠る子らを起こさぬよう、そっと頭を撫でてやりながら言葉を続けた。

「もし、子供達がこのように人の姿を取らず、魔のものの姿をしていたとしても…

エヴァ、あなたは、この子らを愛していると言ってくれましたか?」





それは、彼女がそのうちに私の子を宿したと分かった時から、それを喜ばしく思う反面、ずっと心の奥底に抱いてきた恐怖だった。
忌まわしい私の魔の血のために、何より大切な彼女におぞましい化け物を生ませてしまうのではないかと。
自分のせいで、彼女を傷つけてしまうのではないかと。

こんなことを尋ねるのはエヴァを困らせるだけだと十分分かっていた。けれど、聞かずにはいられなかった。
今、彼女がどんな顔をしているかを思うと、怖くて目を合わせることができない。
こんな恐怖は故郷では感じたことがなかった。
私の心は、いつの間にこれほど弱くなってしまったのだろうか。

その時。
そっと、冷たい私の手に温もりが重なった。
驚いて顔を上げると、そこには私をまっすぐに見つめる、エヴァの瞳が在った。

「どんな姿であっても、私はぜったいにぜったいに、この子達が大好きよ。
…この子達を守るためなら、私、命だって惜しくない」

言い切った彼女は優しく微笑んでいた。
重ねられていたのは、彼女の細く小さな手。
力無き人間の女の手。
なれど、この眩しいばかりの力強さはどうだ。

「あ、もちろん、こんな可愛い小悪魔なら何人でも大歓迎ですけどね」

子供のように無邪気に冗談を言うところはいつまでも変わらないけれど。
悪魔である私には無い、理屈では計れない強さが愛しくて、

思わず、抱きしめた。

「スパーダ…?」
「エヴァ、ありがとう」
「…うん」
「色々なことを、ありがとう」
「…うん」



ああ、そうだ。

この恐怖は、大切なものを持つ者のみが抱く恐怖だ。
この強さは、…守るべきものを持つ者だけが得る強さだ。





まもなく、小さな声が聞こえたかと思うと、傍らの子供達が身じろいだ。
あわててエヴァの体を離す。

「すまない、起こしてしまった」
「じゃあ、あなたも挨拶しなきゃね」

エヴァはくすくすと笑いながら、ぐずりだした双子を抱き上げた。

「ほら、あなた達のお父さんですよ」

差し込む朝日の輝きに、泣き止んだ子供達は眩しそうに目をこする。
その目元はどこか私と似ていて。

「…はじめまして」





その瞳には、エヴァと同じ色の空が広がっていて。











実はパパママ祭りに投稿しようと思ってちまちま書いていたもの。しかし結局間に合わなかったので、旅行先に持っていって書いてました。バスの中とか寝る前とか飛行機の待ち時間とかに延々と書き続けてやっと完成。遅筆にも程がある。
Piacereとはイタリア語で「はじめまして」という意味です。パパンは身内にもなんだか行儀よく挨拶しそうだ。
なんかスパーダって親いない気がするんですよね。トリッシュみたいに幼少期もなくいきなりあのサイズでぽんと生まれて、最初から自立してたみたいな。だってムンドゥスの愛らしい子供時代って想像つかなくないですか?(なんでムンドゥス)
だからいざ自分が親になるとなると、どう振舞えばいいのかわからない。論理的にしか考えられない理詰めなパパンならなおさら。
そこで、感情でものを言うママが足りないものを補ってくれると。
そういう意味でバランスの取れたお似合いのカップルなんだろうなというのが私の見解です。双子がそれぞれどっちに似たのかは言うまでもない。


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