天つ花
都での仕事を終えると、あたりはもう暗くなっていた。
とりあえず眠る気も起きないので、久しぶりに遠くまで足を伸ばしてみることにする。

何一つ、天地の間を遮るもののない、広い草原。
ウシワカは、この場所が気に入っていた。

仰ぎ見れば、頭上には満天の星が広がる。
星は連なり、白く輝いて、まるで一つの流れを形作るようであった。
天に横たわる悠々たる大河、
天の川。

「そういえば、今日は七夕だったんだっけ」

七夕とは、この天の川に隔てられた彦星と織姫とが年に一度だけかささぎの橋を渡って逢う事ができるという伝説にちなんだ、この国の祭である。
星々は彼らの久方ぶりの逢瀬を祝うかのようにまたたき、美しく映えた。

「星をじっくり眺めるなんて、久しぶりかもしれないなあ」

ウシワカは草むらに腰をおろすと、そのまま上体をもその青い絨毯に預けた。
頬を撫でるようにあたる草の感覚が心地好い。
気の遠くなるような長い時を生きても、この草原は変わらず、自分に安らぎを与えてくれる。
そして、頭上に広がる星空も。

「万物流転とはいうけれど…ユー達は変わらないね」

呟いた彼が一番よく理解していた。
何よりも変わらないのは、自分であるということを。
そして、その自分が誰よりも変化を望んでいることを。
そんな己の滑稽さに皮肉めいた笑みを浮かべながら、ウシワカはただ夜空を流れる川を見ていた。

つと、空へと手を伸べる。
星の川に重ねた掌は、今にもその白銀の流れを掴めそうなほどに近く、しかし、遠かった。

自分の予言を信じ、下界で待ち続けてくれたあの方を無事送り届けると自らに使命を課してから、どれほどの年月が流れたのかはもう分からない。
けれど、いくら懸命に手を伸ばしたところで、道が開かれることはなかった。


いつ、この手は届くのだろう。


ただ空を切るばかりの掌を見つめて、ウシワカは目を伏せた。







その時。

何かを感じ、身を起こすと、びゅう、と、世界を一陣の風が駆け抜けた。
青草は波打ち、ざわざわと優しい調べを奏でる。
力強く、涼やかな風の音は、あの懐かしい獣の咆哮にも似て。





ふいに、何かが頬に触れて落ちた。
拾い上げると、それは薄紅色の花びらであった。
風が連れてきた花びらは、その流れの向くままに、はらりはらり、夜空に踊る。

それはまるで、天より舞い降りた天女のように。







「やれやれ、こんな素敵な天気を連れてくる犯人は一人しかいないね」

微かに笑むと、ウシワカは肩をすくめた。

「さて、随分とサプライズな演出が入ったけど、無事彦星と織姫のランデヴーは叶ったようだし、そろそろおいとましようかな。…どうやら、」

おもむろに立ち上がり、天を仰ぐ。

「ミーももうすぐ、待ち焦がれた織姫サマに会うことになりそうだ」

もう一度星空に手を伸ばすと、今度は掌を強く握り締めた。




笛の音が聞こえる。

予言の刻は、すぐそこに。








天の原 ふり放け見れば 天の河
霧立ち渡る 君は来ぬらし (詠み人知らず)






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