「…よくもここまで極端な成績を出せるものだ」

ディーンの答案を見ていると、ある種の感動を覚える。
毎回、授業の最後に確認テストを行うのだが、彼はゴーレム関連の知識はみるみる自分のものにしていく一方、興味の無い分野は居眠り(あまつさえ逃亡)という、ポルタゲ並のたちの悪さで一向に進歩が無いのだ。同じように教えたレベッカはそれなりの点数を取っているから自分の教え方が悪い訳ではないようだし、ジョニー・アップルシードを担っていく者がこのような有様では少々…いや、かなり心許ない。

「リリティアからも言ってやって下さい、ゴーレム以外の分野にももっと身を入れるようにと…」
「……」

傍らに座るリリティアに話しかけるも、返ってきた答えは、沈黙。
不思議に思い、返事が返ってくるはずの方向に目をやると、うつらうつらと舟を漕ぐリリティアの姿があった。

「…リリティア?」
「え…あ、はい!なんでしょうか?」
「あ、いえ、大した話ではなかったのですが」
「そうですか…すみません」

申し訳なさそうにうなだれ、そこで会話は終了する。
再び静寂が訪れると、リリティアはまた眠そうに目をこすり始めた。けれど完全に眠ってしまうことはなく、眠りに落ちそうになる瞬間に俄に顔を上げて睡魔を振り払おうとする。それでも耐えられないのか、挙句に自らの頬をぱちぱちと叩き出した。

「…お疲れのようでしたら、後は私一人で片付きますし、ご自分の部屋でお休みになられては?」

見かねて声を掛ける。そういえばこの頃は授業中もどことなく元気がなかった。
授業後はときどきこうしてリリティアの家で採点を行っているのだが、疲れているのにもかかわらず、私がいるためにいらぬ気を遣わせているのかもしれない。

「大丈夫…です」

必死に笑顔を作ってはいるが、その瞳はどこか遠いところを見ている。どう見ても大丈夫ではない。

「日も暮れてきましたし、もうお暇しますので。今日のところはどうかお休み下さい」

こちらから行動を起こさなければリリティアは意地を張り続けるだろう。私は教材をまとめて、帰る準備を始めた。
が、リリティアはこちらの様子をぼんやりと見つめるだけで、動こうとしない。それどころか限界が近づいたとみるとやはり頬を叩いて、眠気を払おうとしている。明らかに様子がおかしい。

「どこか具合でも悪いのですか?」

片付けの手を止め、リリティアの顔を覗き込む。
雪のような白い肌は一層白く、青ざめてすら見える。少し痩せたかもしれない。
目は赤く腫れて、うっすらとクマもできているようである。
リリティアは一瞬ためらうような素振りを見せたが、やがて搾り出すように言葉を紡ぎ始めた。

「ずっと…眠れ…ないのです」
「眠れない…?原因の心当たりは?」
「暗いところが…怖いのです。おかしいですよね、あちらの時代にいた時はこんなことはなかったのに」
「……」
「灯りをつけて寝ようともしました。けれど瞼を閉じた瞬間、いつもわたくしを暗く冷たい闇が覆うのです。このまま永久に、この冷たい闇の底までも墜ちて行くのではないかと、怖…くて…」

リリティアの青く大きな瞳から涙がこぼれる。そこから先は言葉を詰まらせて、ついに語ることができなくなった。

ああ。
心は知らずとも、彼女の体はまだ覚えているのだ。
1万2千年の時を過ごした、暗く冷たい闇を。

瞼一枚の向こうに広がる、最も冷たく、身近な無限。
その恐ろしさを、私も知っていた。

毀された祭壇にて怨念に取り憑かれた日から毎夜のように見るようになった、深い闇に墜ちてゆく悪夢。その夢を見るたび、更に奥へと飲みこまれていくようで、私は瞼の裏に在る闇を、眠ることを恐れた。
怨念から解放された今はあの夢を見る回数こそ減ったが、言い知れぬ闇への恐怖は到底忘れられるものではない。

静まり返った部屋に、リリティアの小さな嗚咽だけが響いている。
体だけが持つコールドスリープの記憶。その凍てついた、終わり無き闇の記憶に、彼女の心は訳も分からず震えているのか。
かつて私が、自分の中に自分ではない「闇」を感じ、恐れたように。

考えるより早く、気付けば私は彼女の細い肩を抱き寄せていた。

「あ、あの…?」
「…温かい闇では、いかがですか」
「え…」
「あなたは冷たい闇を怖いと言った。ならば温かい闇の中でなら、怖がることなく眠ることができるのではないでしょうか」
「……」

驚いたように、瞳に涙を湛えたまま、リリティアはこちらを見上げてくる。

「…根拠も何も、ありませんが」

私は何を言っているんだ。
ふと冷静さを取り戻し、自分が今しがた口走った子供じみた屁理屈が急に恥ずかしくなった。

くす、と笑い声が聞こえた。

「なんだか、いつものヴォルスングらしくないです」
「…すみません」
「いいえ。とても嬉しい」

瞳を閉じると、リリティアは私の肩に体重をあずけてきた。

「ありがとうございます、ヴォルスング。温かくて、とても心地いい…」

全ての言葉を言い終わるか否かのうちに、穏やかな寝息が取って代わった。
安らかな寝顔。心配をかけまいと、きっと今まで誰にも相談できずにいたのだろう。

触れた箇所から、リリティアの体温が伝わってくる。
ぬくもりとは互いに与え合えるものなのだと、当たり前のことを改めて実感する。
そんな当たり前のことがただただ嬉しく、たまらなく愛おしい。

これ以上を求める資格は無いことなど、百も承知だ。
それでも、願わくば今だけはこの温かい闇を二人で分かち合っていられたら、と。
小さな体をもう少しだけ強く抱き寄せて、瞼をおろした。



"温かい闇"




後日談(ギャグ的な何か)